オネスト コーチング&コンサルティング 代表
エグゼクティブコーチ ライフ&キャリアコーチ
大学卒業後、株式会社三越に入社。販売促進、顧客戦略等に従事。営業推進部、マーケティン部にてマネジャーを歴任。
2010年 (株)伊勢丹との統合前人事交流で伊勢丹出向となり、異なる企業文化間コミュニケーション調整を任される。
自社の業績不振、相次ぐ店舗閉鎖、早期退職勧奨など組織が傷んでいく過程を目の当たりにしつつ、従業員のモチベーション向上を担う責任から自身も苦しんでいたとき、コーチングに出逢う。
その出逢いをきっかけに、二社統合のめどが立った2011年3月退職、プロフェッショナルコーチ、コンサルタントとして独立。
2012年から企業研修講師、キャリアコンサルタントとして大学生の就活支援もスタート。
2012年~2020年 静岡産業大学 経営学部 非常勤講師としてリーダーシップ、キャリアデザイン等独自の視点で講義を担当。
2018年~2023年 家族の転勤に伴い人生初のインド生活を体験。価値観、視点の大転換の機会を得て、人間の可能性への期待はさらに高まり、日々学びを深めている。
慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業
慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了(MBA)
産業カウンセラー
CTI認定 プロフェッショナル コーアクティブコーチ(CPCC)
国家資格キャリアコンサルタント
慶應ビジネススクール認定 ケースメソッドインストラクター
CRRグローバル認定 組織と関係性のためのシステムコーチ(ORSCC)
「みんなちがって、みんなちょっとダメ」を赦し合える世界
落語が好きで、コロナ前までは寄席に通ってた私。
友人の落語家さんとコラボして、〈落語×システム・コーチング®のワークショップ〉もちょくちょく開催してます!
落語のと登場人物には、良い人キャラから悪い人まで様々いますが、100%良い(悪い)という人は出てきません。善人でもちょっとずるかったり、悪人でも少しくらいは情深さをもっています。
そんな人々がフクザツに絡み合うから騒動が起きる、でも最後には、それぞれが「ばかだねえ」と言って笑い、相手を赦す。自分の弱さや不完全さを認めて、相手のそれも、認めるのです。
これは、コーチングマインドにも通底するところで、他者に共感しようとする、理解できなくても「そういうこともあるかねえ」と言ってみる。評価や判断を超えて、相手も自分も尊重できるようになる。その大切さを落語からもコーチングからも学ぶことができます。
「みんなちがってみんなちょっとダメ、だけどそれが人間なんだよね、愛おしいね」という感覚でいられたら、相手を批判したり糾弾したり、自分を責めたりプレッシャーに潰されたり、そういうストレスがずいぶん減るんじゃないか、と思うのです。そしてそれは、現代に生きる私たち誰しもにとって、新たな視点・価値観として取り入れてもよさそうなものだと思うのです。
そこは、「大いなるグレーの世界」。グレーという色の持つ幅広さ、奥深さを、落語からいつも感じています。「グレーの世界を楽しむこと」を、いまに生きる人に提案したいです。
源泉掛け流し露天風呂みたいなコーチング
日本人だけでなく、もはや世界的に大人気の「温泉」。
私のコーチングスタイルは、『源泉掛け流しの露天風呂』がイメージです。
「源泉掛け流し」は、慣れない人にはちょっとキツい温度や肌当たり。入る人の期待より熱かったり、冷たかったりして時にはツライかもしれません。また、聞きたくないことを言われたり、思ってもない変な角度から直球を当てられたり、痛みさえ伴うような肌当たりのキツさもあるかもしれません。でも、効く人にはすごく効く。
「露天風呂」は、いつでもそこにある、誰でも(老若男女・文化を超えて)入りたい人には開放されている、そしてそこには爽やかな風が吹き、木漏れ日が降り注ぐ、自由ですがすがしい空間です。
そしてみんな、「はだか」。
重い上着やピンヒールを脱いで、体を楽にしていい汗をかき、ほっこりゆったり温まって、鋭気を養い視野を広げて、すっきり整ってほしい・・・そんな思いでセッションをしています!
顔です、顔!!
ずばり、顔です(笑)。
コーチング基礎コースでの衝撃的出逢い以降、毎月1回、金土日が受講期間でした。明けて月曜に出社すると、当時の部下たちが異口同音に、「顔が違ってますよ、眉間の皺がないですよ! なにやってきたんですか?!」と訊いてきたくらい、私の表情、肌つや、目つきが変わっていたらしいです。
たしかにそうかも、と思いました。毎回、自分の古い思い込みの殻を破り、新しい自分に脱皮していたんですから。
見える世界の幅と高さが広がり、景色に色がつき、自己理解が深まり、気持ちが豊かになる・・・。それが毎回繰り返されるのです。大の大人が喜怒哀楽を全開にして、同志である受講者(のちのコーチ仲間)たちと協働関係を築いていくのです。魂をえぐられるような体験もあれば、乾いた心に水がしみ通るような滋味深いひとときもありました。「心が生きている」と実感した半年間でした。
心が活性化したから、顔にも出たんでしょうね。
その他にも、起きたことをどう受け止めるか、受け止めた私の感情は今どうなっていて、それは私にとってどんな意味なのか? とか、一般的にはフツーじゃないっぽい人やものごとに出会ったときも、自分の評価軸を脇に置いて好奇心をもって眺めてみる、とか、そういうことが習慣化したので、慌てることも怒り狂うこともなくなりました。心の平安が保たれ、朗らかかつ機嫌良く生きられるようになりました。
おかげさまでそれ以来11年、私の眉間の皺は加齢によってもあまり悪化せず笑、どんなヘビーな経験をしても慌てず騒がず、ご機嫌良く、がデフォルトです
サボタージュ(自己制限的な思い込み)に気づき、家族との関係を問い直すことができました
コーチングに出逢い、クライアントとしてコーチングセッションを体験をする中での大きな成果は、サボタージュ(妨害する人)と呼ばれる、自己制限的な思い込み・自分を勝手に縛ってきたルール に気づかされたことです。
子供の頃から私は、「何でも自分で出来るしっかりした子、手がかからない子」と評価されてきました。それは、私にとっては良いことだと思っていたし、そうすべきであるとも考えていました。3つ違いの兄は食が細く私よりもずっとナイーブで、母は兄のことで手一杯。私が何でも一人でやれると、母から「助かった」と褒められていたからです。
同時に、私は「愛想がない、愛嬌がない子。弁が立つ生意気な子」でもありました。「女の子なんだから、もっと可愛らしくしなさい。お嫁に行けなくなるよ」と言われて育ちました。
この台詞を言っていたのは、ほとんどが母でした。母は、外の人が私を高く評価することで幸せを感じていたと同時に、内では“素の私”を認めていませんでした。私の選ぶ色、好きなもの、見たいテレビ番組、すべてを「くだらないわね」と一蹴し、「ママが選んであげるものが一番いいのよ」と言っていました。
それでも私はひるまず、好きなものを選ぼうとする。言い合いになる。私は「弁が立つ」ので(笑)、母を言い負かしそうになる。最後には母の鉄拳が飛んできて、黙らされる・・・という日常でした。
子供は親から褒められたいものです。愛されたいものです。だから私も、なんとか母に褒められようと、彼女の希望に沿おうとしました。良い子にする、文句を言わない、彼女の好みの服を好きになろうとする・・・そうやって小学校中学校高校・・・と「母にアジャストする暮らし」を自分に強いていました。
学校では強く独立心旺盛、しっかりした人間として通っていましたが、気持ちの面では意外にそうも行かず・・・。アジャスト生活の過程でいつの間にか、「私が選択するものはたいしたことないものだ=私はものを見る目がない人間だ」と思い込み、全く自信を持てなくなっていました。
この思い込みは、大人になった後でもずーっと私につきまとい、人生の岐路での大事な選択場面で、悪さをし続けました。本当の私は決して選ばない道、相手。いつも母アジャストのサボタージュが私の代わりに選択をしていました。最初の結婚でさえも。
そのことに気づいたのは、コーアクティブコーチングの応用コース受講中でした。これがサボタージュの典型例であることを当時のリーダーたちから指摘された時の衝撃たるや!!!
なにより響いたのは、この思い込みは母本人ではないということ。これって私が勝手に作った「母の声」だっただけじゃん!!!!!
私が、自分で作ったルールで自分を縛っていただけだったのです。だから、そのシバリを解くのも、私次第。
私が、大切にしている価値観を尊重して生きても、だれも困らない。私は、私が大切にしたい価値観に従って生きる権利がある。当たり前のことだけれど、真に腹に落ちた感覚を今でも覚えています。
とはいえ、生身の母親の態度は、相変わらずそんな感じでした。コーチング修行中のチャレンジとして、私の気づきを母に語り、この思い込みのシバリを完了させました。母がどう思うか、母を変えることはできません。でも、私は私の価値観を尊重して生きていく宣言をし、母との関係性に一区切りをつけました。
『他人と過去は変えられない。でも自分と明日は変えられる』 そんな言葉が胸にしみた体験です。
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