サボタージュ(自己制限的な思い込み)に気づき、家族との関係を問い直す
コーチングに出逢い、クライアントとしてコーチングセッションを体験をする中での大きな成果は、サボタージュ(妨害する人)と呼ばれる、自己制限的な思い込み・自分を勝手に縛ってきたルール に気づかされたことです。
子供の頃から私は、「何でも自分で出来るしっかりした子、手がかからない子」と評価されてきました。それは、私にとっては良いことだと思っていたし、そうすべきであるとも考えていました。3つ違いの兄は食が細く私よりもずっとナイーブで、母は兄のことで手一杯。私が何でも一人でやれると、母から「助かった」と褒められていたからです。
同時に、私は「愛想がない、愛嬌がない子。弁が立つ生意気な子」でもありました。「女の子なんだから、もっと可愛らしくしなさい。お嫁に行けなくなるよ」と言われて育ちました。
この台詞を言っていたのは、ほとんどが母でした。母は、外の人が私を高く評価することで幸せを感じていたと同時に、内では“素の私”を認めていませんでした。私の選ぶ色、好きなもの、見たいテレビ番組、すべてを「くだらないわね」と一蹴し、「ママが選んであげるものが一番いいのよ」と言っていました。
それでも私はひるまず、好きなものを選ぼうとする。言い合いになる。私は「弁が立つ」ので(笑)、母を言い負かしそうになる。最後には母の鉄拳が飛んできて、黙らされる・・・という日常でした。
子供は親から褒められたいものです。愛されたいものです。だから私も、なんとか母に褒められようと、彼女の希望に沿おうとしました。良い子にする、文句を言わない、彼女の好みの服を好きになろうとする・・・そうやって小学校中学校高校・・・と「母にアジャストする暮らし」を自分に強いていました。
学校では強く独立心旺盛、しっかりした人間として通っていましたが、気持ちの面では意外にそうも行かず・・・。アジャスト生活の過程でいつの間にか、「私が選択するものはたいしたことないものだ=私はものを見る目がない人間だ」と思い込み、全く自信を持てなくなっていました。
この思い込みは、大人になった後でもずーっと私につきまとい、人生の岐路での大事な選択場面で、悪さをし続けました。本当の私は決して選ばない道、相手。いつも母アジャストのサボタージュが私の代わりに選択をしていました。最初の結婚でさえも。
そのことに気づいたのは、コーアクティブコーチングの応用コース受講中でした。これがサボタージュの典型例であることを当時のリーダーたちから指摘された時の衝撃たるや!!!
なにより響いたのは、この思い込みは母本人ではないということ。これって私が勝手に作った「母の声」だっただけじゃん!!!!!
私が、自分で作ったルールで自分を縛っていただけだったのです。だから、そのシバリを解くのも、私次第。
私が、大切にしている価値観を尊重して生きても、だれも困らない。私は、私が大切にしたい価値観に従って生きる権利がある。当たり前のことだけれど、真に腹に落ちた感覚を今でも覚えています。
とはいえ、生身の母親の態度は、相変わらずそんな感じでした。コーチング修行中のチャレンジとして、私の気づきを母に語り、この思い込みのシバリを完了させました。母がどう思うか、母を変えることはできません。でも、私は私の価値観を尊重して生きていく宣言をし、母との関係性に一区切りをつけました。
『他人と過去は変えられない。でも自分と明日は変えられる』 そんな言葉が胸にしみた体験です。