ガンであっても、
"あなた"は、"あなた"

高校の時、父の知り合いの放射線科医に書棚の整理などを頼まれて、その病院でアルバイトをしていた時に、ガンで入院しているおじいちゃんと話をしたことがありました。

その後、私が20歳になった頃に、おじいちゃんの病気が再発したのだそうです。すると「高校生だったあの女の子にもう一回会いたい」と呼ばれたのです。

私が会いにいくと、おじいちゃんは「あの時に言ったこと覚えてる?」と言うのです。

何だったかな、と思い出せずに考えていると、「僕はあなたに救われたんだよ。○○さんは、ガンであってもなくても○○さんだよ。ガンになった○○さんではなく、○○さんであることを大切にしてねと言ってくれた」って。

そしてそのおじいちゃんは私にこう教えてくれました。

「僕はガンになったことで、ガンに縛られていた。体だけじゃなく気持ちまでガンになっていたんだ。そして正しい考えすらできなくなっていた。最期まで自分らしく生きていたいと思うよ。あなたが言ったことを自分で忘れてはいけないよ。」と言われました。

お年寄りのおっしゃったことは私の心の中心に定まったように思います。

その後、私は結婚して21歳で子どもを産みました。育ってきた家から逃げ出したかったこともあり早い結婚でした。まだまだ幼く未熟な夫婦でした。

子どもが一歳になった時、父が亡くなり、私は夫と息子を連れて実家に戻ったのです。その後もう一人女の子を授かりました。でも父が亡くなったことから色々な問題が続き、夫婦の溝が深まり離婚したのです。
ずいぶん落ち込みました。私は自分の望みを若い夫に押し付けていたのです。

その後、薬剤師だった男性と再婚しました。お互いに東洋医学に興味を持っていたこともあり、一緒に学校で学び合い結婚して「癒しの森」という漢方薬局と整体の治療院を作りました。

でも漢方薬って作るのに時間がかかって待ち時間が長いのです。そこで待って頂いている患者さんの話し相手に私がなっていたのです。

当時私は受付をしながら赤ちゃんや妊産婦さんの体のケアをしていたのだけれど、重篤な患者さんは苦しい思いをいっぱい抱えています。

時間の許す限り私は聞き手になって「うんうん」って頷くのです。ほとんど聴いているだけなのですが、時おり私がその方に何か思ったことをお伝えしました。

ある時、うつ病だった患者さんから「あなたの一言がきっかけで元気になったんだよね。その一言を中心にして雑誌の特集を組みたいんだけど、いいかな?」と言われたのです。

その話をアメリカから一時帰国していた友人に伝えたところ、それでは名刺が必要だと言い、私が作ってあげるねとなって彼女が名刺を作って持ってきてくれました。

そこには私の知らない肩書が記されていました。
「癒しの森・セラピスト 志村季世恵」って。でも、まだ日本にセラピストなんていう職業はない時代だったので、そんな職業名を聞いたことのない私は「トラピストって何?あのバタークッキーの修道院のこと?」なんていう始末でした。

そこでなんだか心配になり、「セラピストという名刺をお渡ししますが、"薬局受付"に変えて下さい」と伝えたのです。でもその記事には、堂々と「セラピスト 志村季世恵」って載っちゃっていました。

そんな感じで、偶然のような、嘘のような流れで、セラピストの仕事が一人歩きしていっちゃったのです。それから、講演の依頼やNHKの特集等で紹介されるようになりました。

人は死ぬ直前まで、何かを生み出せる

流れの中で、気がついたらセラピストになっていたのですね。季世恵さんがご自身のことを「バースセラピスト」と表現をされているはなぜですか?

薬局に来ていた患者さんたちの中には、末期のガンの方も多かったのです。もう治らないと告げられる。けれどあきらめたくない。

そうなると多額のお金を使いあらゆる療法を試される方もいます。それでも治らない。そんな苦しみの中にいる方が「癒しの森」を訪れることもありました。

私も当時の夫も少しでも痛みが取れる施術を工夫しながら、他に出来ることを探しました。そんな毎日が続く中である時、気づいたのです。

患者さんのもう一つの大きな望みは孤独からの開放でした。

人は大きな問題を抱えると周りに人がいても一人ぼっちの気持ちに陥るのですよね。

私自身も子どもの頃、孤独感が強かったのです。そんな時に側にいてくれたのが、死んでしまった猫のミーちゃんでした。
私は何もできないけれど寄り添うことはできる。私がミーちゃんになったらいいと。

患者さんに伝えました。「あなたが治っても治らなくても、私はずっと変わらず側にいるよ」と。すると、みなさん泣くのです。「そんなこと言われたことなかった、治らないともう見放されてしまうと思っていた」って。

そうやって患者さんたちと向き合う中で、自分も強くならなければと思うようになりました。でも難しい…。
本当はね、私はお別れが嫌いなんです。死んでほしくないと願っています。

すると、患者さんが教えてくれるのです。最期まで生きることの尊さを。また人は孤独から開放されると何かを生み出すことができることも知りました。

先ほどおじいちゃんのお話をしましたが、おじいちゃんはガンの○○ではなく「死ぬまで自分で在る」生き方をすることを伝えていたのです。やっぱり命は最期まで全うするためにある。

ターミナルケアの活動はずっとボランティアで行っていますが、カウンセリングやセラピーを通しながらこんな質問もしています。

「卒業するとき(亡くなるその日)、大切な人に何を伝えて旅立ちたいですか?その人が生きる指針になるような言葉はありますか」

そうすると皆さん、心が震えるほどの言葉を言ってくれるのです。誰かを心から想っているからこその言葉だと思います。

それで、次の質問をします。
「お伝えするその言葉通りに、今あなたは生きていますか?今それを言える状態になっていますか?」

殆どの方が「NO」と言います。では言葉を本気で言えるように今から少しずつやっていきませんかと、その辺りからバース・何かを生み出す大切な時間が始まっていくんですね。

最後までやれることはある。私は何も出来ないけど寄り添いそれを応援することはできる。そのことを、私が忘れないでいよう。『人は死ぬ直前まで何かを生み出せる』それで「バースセラピスト」という肩書にしました。

この肩書を持ち私はずっとこの活動を続けると信じていました。でも8年前、「癒しの森」の院長である前夫が海の事故で亡くなり、「癒しの森」は閉局しました。私の転機がまたやってきたのです。

響きから生きる人たち インタビュー
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