バースセラピスト 志村 季世恵さん

1962年生まれ。バースセラピスト。
1990年「癒しの森」を故志村紘章と共に立ち上げ、カウンセリングを担当。クライアントの数は延べ4万人を超える。
2007年「癒しの森」を閉院。現在は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の運営に力を注ぐ傍ら、フリーでカウンセリングや、末期ガンを患う人へのターミナル・ケアを行う。「こども環境会議」代表、「ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ」代表理事、4児の母。

『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)、『大人のための幸せレッスン』(集英社新書)、
茂木健一郎氏との共著『まっくらの中での対話』(講談社文庫)、『ママ・マインド』(岩崎書店)などの著書がある。

命は誰のもの?

今されている活動について教えてください。

長く続けている活動はバースセラピストです。25年経ちました。セラピストとしての活動をきっかけにダイアログ・イン・ザ・ダーク(*1)と出会い、日本で開催するための準備から現在に至るまで、仲間と共に活動しています。
プライベートでは、4人の子の母親でもありますが、あっ、でもこれは活動とはちょっと違いますね(笑)。

 

どんな経緯でバースセラピストになられたのですか?

実はあまり明確な理由はないのです。正直に言うと自然の流れでした。多分子どもの頃から身体が弱かったことや、家庭環境が少し複雑だったことが重なったからだと思います。

私が命のことを意識したのは3歳の時です。大好きだった伯父が手術の失敗で急逝し、どんなに願っても叶わないことがあることを知り、生き物は死んでしまうと二度と会えなくなるということを教わりました。

父も体が弱く、母は不安だったのでしょう。「お父さんが死んでしまったらどうしよう」というようなことを言葉にし、私も同じような気持ちでいました。

そして中1の時にまた命について深く考える機会がありました。私が大学病院の小児病棟に入院した時のことです。私の部屋は個室でした。その病室は重篤な症状になった時に入る病室の近くでしたが、部屋の前にベンチがあったのです。

普段そこに座る人はいません。でも、子どもの病気が重くなって親御さんが呼び出されるとベンチに座る人が現れる。我が子が危険な状態だと呼ばれた親御さんなので、その緊迫した雰囲気は他の子どもたちにも伝わってきます。

大学病院なので重たい病気の子も多く、亡くなる子もいます。当時は亡くなる直前になると親は病室の外に出されていたように思います。

どこにも行けずそのベンチに座わり、お母さんの押し殺したような泣き声が私の耳にも入ってきます。きっとお別れが近づいている。私もそして他の子にも分かります。

やがて、病室に呼ばれると叫ぶような泣き声。我が子を亡くしたお父さんとお母さんの声でした。

私は愕然としました。
死んじゃうのに、最期なのに親子で一緒にいられない。命は誰のものなのだろう。お医者さんのもの?一番大事な人のはずなのに側にいられない。とてもショックでした。

どんなに苦しくても、
誰かを思うことができる

その少し前に私の飼っていたミーちゃんというトラ猫が死にました。夜遅く外で異常な犬と猫の鳴き声がして、あわてて玄関から外に飛び出してみると、私の猫が数匹の野犬に噛まれているところでした。

見つけたときには血を流してぐったり横たわっていて。父と一緒に慌てて動物病院に行くと、「肺に穴が空いているからもう助からない。苦しいだけだからこのまま注射をして、死なせてあげようね」と獣医さんから言われました。

私は、受け入れたくなくて、やだやだってうんと泣きました。父が私の肩を抱いて「仕方ない。あきらめよう。でも、最善のことをしよう、あなたができることは、この猫を最期まで抱いてあげることだよ」と言うのです。私は猫を抱きしめました。

するとその猫が、そんなに苦しい状態なのに、起き上がって私の顔をなめたの。私は多感な子で泣くことが多くて、何かあるとその猫がそっと側にやってきて私をなめてくれていました。それを最期の時までするなんて…。

私は生き物の凄さをこの時に知ったのです。どんなに苦しくても、誰かを思うことが、動物であってもできるのだって。

猫のミーちゃんは私と父に看取られて死にました。お互いを想い合い行動を起こせたのです。

でも私の病室のお隣にいた人間の親子はそれすら出来なかった。猫でも抱っこ出来たのに。何かが違うと思いました。その子もご両親もかわいそうで仕方なかった。

もしかしたら私の父が言ったみたいに、他に出来ることはあったのではないかと。
以降私はそれをずっと考えているように思います。きっとまだ出来ることはあるはずって。

猫が教えてくれた、
平和への一歩

私の家庭環境は、父が三度結婚しその都度子どもが生まれたので、三通りの子どもがいます。三回目の結婚の相手が私の母で、その間に私と妹が生まれたのですが、上の姉や兄も途中から共に暮らすようになりました。

上の姉と私の母は12歳差。当然、姉達と私の母とは上手く噛み合わず、幼い私にも理不尽なことが起きていました。

ある時、どうしたら仲良く出来るかというようなことを兄に聞いてみたら「お母さんが違うからしょうがない」と言ったのですね。母にも同じ質問をしてみました。すると兄と同じような答えが返ってきました。「自分の産んだ子が一番かわいいものよ。あなたも子どもを生んだらわかるはず」と。

もしかしたら一時の感情がそう言わせたのかもしれません。けれど当時の私はその二人の答えが差別のように感じられとてもショックでした。

そして漠然とですが私の理想ができました。
私は差別をしない人になりたい。

そんな私にまた、猫が教えてくれました。
子どもにとって動物との暮らしは大きな影響を与えてくれるのですね。死んじゃった猫のミーちゃんにはミケという名前のお母さんがいました。

やさしい猫で、自分の子ども以外の子猫にも、おっぱいをあげて育てるのです。昔は捨て猫が多く、それを見つける度に私が拾うわけですが、子猫をミケに見せるとその子猫を、ちゃんと育てるのですよね。

生き物は命をないがしろにせず、ひたむきに育てることに注力する、そんな自然の掟のような姿を見せられて感動したのです。

動物に出来て人間に出来ない理由を探しました。
本能とは異なる感情がそれを妨げてしまう。もしかすると人間の脳はまだ発達途中なのではないかと思ったのです。

自分の欲求を満たすことに長けその感情を整理することができない。戦争も利己的なことから始まるのだから、この辺りが解決できたら平和が訪れるのではないか。

あと一歩進化したらきっと我が子のみの幸せや自分のためだけの幸せを考えることはなくなるだろう、だったら私はもう一歩先にチャレンジしてみたいと子ども心に思ったのです。

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*1. ダイアログ・イン・ザ・ダーク
    (Dialogue in the Dark)

日常の生活のさまざまな事柄を、暗闇の空間で、聴覚や触覚など、視覚以外の感覚を使って体感するワークショップ。
www.dialoginthedark.com

1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案により誕生した。これまで全世界32カ国、130都市以上で開催されており、800万人以上が体験。日本では1999年に初めて開催され、現在は東京と大阪会場を中心に開催中。これまでに約16万人が体験している。

響きから生きる人たち インタビュー

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