国際開発機関勤務 金平 直人さん

1977年富山県出身。
2000年慶応大学総合政策学部卒、2008年ハーバード大学ケネディ行政大学院・MITスローン経営大学院修了。

大学在籍時モバイルインターネット分野で起業、卒業後マッキンゼー・アンド・カンパニーにて主に通信・電機・自動車業界の成長戦略策定に携わる。留学を機にUNDPマケドニア事務所およびコソボICO/EUSR(欧州連合特別代表部)にて民族融和と民間セクター開発に従事。

非営利法人ソケット代表を務める傍ら、2010年に世界銀行へ入行。
欧州地域・南アジア地域の産業競争力研究、中小企業新興、イノベーション政策を担当。
現在は予算編成・業績評価・戦略企画総局にて財務面から世銀改革に関る経営層の意思決定と施策実施を支援。

ひとごとが
自分ごとになる

これまでのキャリアについて教えてください。

今の世界銀行での仕事は、4年前からやっています。大学を卒業して最初に入ったのはマッキンゼーというコンサルティングの会社で、途中3年留学して、計10年間在籍しました。

 

数あるコンサルティング会社の中で、なぜマッキンゼーに入ったのですか?

大学時代にベンチャーをやる中で、経営っていうのは大変なので、経営がわかる職業経験を積んでまたやったほうがいいのかもしれないな、と思ってコンサルティング会社を考えました。

マッキンゼーに入ったのは、巡り合わせかな。
今から思うとそんなに深い考えがあったわけでもないんだけど、面接で会って話をした人に惹きつけられました。

難しいことを面白くわかりやすく考えて、人にない視点を提示して問題の解決を手伝っていくことが、こういう人だったらできるんだろうなと思わせてくれるような人ばかりで。

大学でお世話になった先生の何人かもマッキンゼーの出身者で、その先生たちの授業を受けた印象とも、とても一貫していました。

 

実際のお仕事で、どんな経験をされましたか?

身体に悪い仕事なんですけどね(笑)、長時間労働だし。
でも、面白かったし鍛えられました。

一番自分の中に残ったのが、2000年から2005年のはじめの頃で、日本の製造業がだんだんダメになっていった時期です。

僕は、自動車や半導体や家電製品や通信の仕事が多かったのですが、こんなに立派な経営者とこんなに立派な技術者がまじめに働いても、国を挙げて追い上げてくるライバルたちに連戦連敗・・・半導体は台湾に取られ、家電製品は韓国に取られて。

これは経営がまずいからそうなっているのか、政策がまずいのか、それとも技術なのか、自分の中では答えがなくて、もどかしいっていう経験をしましたね。それで留学して世の中をもっと知ろうと思いました。

 

日本を離れて世界を見てみて、何が見えてきましたか?

それまで経済の仕組みもちゃんと勉強してなかったですし、国と国との関係の仕組みも初めて勉強しました。

そういう広い文脈の中で、個別の商品や個別の企業の経営を簡単に押し流してしまう要因が何なのかということが、それなりに分かりました。

留学先で一緒になった、国も仕事分野もさまざまな仲間たちと学んだり飲み明かしたり旅したりするうち、だれか他人の問題と思っていた多くのことが一つひとつ、自分ごとになるんです。

日本とか製造業とか、僕がマッキンゼーを通じて深く関わることのあった分野での課題というのは、いろんな広い課題の現れ方の一つといえます。

その解決策は、他のいろんな課題に対する解決策と一緒でないときっと実現しなくて、世界がそれを求めている。
海を隔てて違う切り口から一緒に取り組む仲間がいる。
ということが、腑に落ちたことが、留学で学んだことなんでしょうね。

それで随分仕事観が変わったと思います。

楽観的であること

留学中、夏休みにいろんなインターンシップや仕事をする機会がありました。3年いたので夏休みが3回あり、それぞれに発展途上国に関わる仕事をして、それが自分にとってはすごくいい経験でした。

1年目が国連のUNDP(*1)という開発機関。バルカン半島のマケドニアという国に3ヶ月くらい行っていました。

2年目は、世界銀行の姉妹機関のIFC(*2)という、新興国・途上国の民間企業に投資や融資をする機関にいました。

3年目の2008年は、コソボがその春に独立して新しい国ができたばかりで、新政府が機能しはじめるまでの空白を埋めることがミッションのEUコソボ支部、セルビア国境沿いのミトロヴィツァという街で、民族融和や投資誘致に関わる仕事をしました。

着任する前に、憲法のドラフトが送られてきたんです。
これをちゃんと読んでおくようにって。ワードのファイルにたくさん変更履歴が入っているような文章で。

これが憲法なのか!って。そこでは、声高らかに「私達はこういう国になりたい!」って言ってるんですね。

そうやって、日本と大分違う状況にある国で、特に新しく国ができるプロセスを一緒に経験をするということがなかなか面白くて。

当たり前だと思っていることや、世の中はこうあるものだと思っていることが、いかに人が作ったもので、いろんな人がいろんな意図を持って作ろうとしたり変えようとしたり。

思ったように変わらなかったり、違う民族で違う歴史観を持っている人たちが、どうやってその中でケンカしたり、頑張って仲直りしようとしたりしながら動いているかっていうのが、なかなか強力な体験でしたね。

行ってみると現実はやっぱり大変ですけれど。
僕の父親はお前の父親に殺されたんだっていう人たちが、川を挟んでケンカして、しょっちゅう銃声が聞こえたり戦車が走り回ったりしている中で、個人や民族やコミュニティの力が反発したり寄り添ったり。

周辺の国々や遠くの大国の利害が川の両側の政治と経済を押したり引いたり、ちょうどリーマンショックも起きたところでしたが、いろんな力がせめぎ合いながら、ものごとが前進したり、つみあげた進歩が吹き飛んだりする過程の一部にいる経験でした。

外の強力な力と、村の中で個人が発揮する力が、それでも前向きな力をどうやって生んでいくのかというところに、いろんな悩ましさがありました。

こういう仕事は、上手く行くか、行かないかを予想しても、たぶん上手く行かない未来が多く見えるのが世界の現実です。
でも、自分が楽観的に仕事をすることを自らに課さなきゃいけない仕事だと思って帰ってきました。

楽観的というのは、金平さんにとってどんな感覚ですか?

よい未来は想像できる、
そして、想像できるものはたぶん形にできる。

でも、祈るだけでは駄目で、言いっぱなしでも駄目で、意志を持って行動しなければ駄目で。
何事もそうそう簡単にはいかないんだけど、失敗してもへこたれない(笑)。

ちょっとずつ直しながら、前に進み続ける、っていうことなんでしょうね。

人のあり方に心打たれて
職場を選ぶ

その後、留学を終えて2年間マッキンゼーに在籍した後に、世界銀行(以下、世銀)に転職しました。

世銀はいくつか人材採用のパスが分かれていて、私が入ったのは、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(*3)の採用枠でした。

応募の年齢制限が、当時の自分の歳の32歳だったので応募したのですが、本当に行きたいというところまでは至ってなかったんです。

官僚機構だし、問題がいっぱいある組織だし。
でもこの入り方ができるとすれば、このタイミングが最後だから、応募を決めて面接を受けました。

それで、10年前のマッキンゼーと一緒ですけど、この人たちとだったら一緒に働きたいなと思って。あり方に心を打たれましたね。

どんな「あり方」に心を打たれたのですか?

三人の面接官が応募書類に書いたことをじっと見て、そこにたくさんつっこむ面接なんですけどね。僕、応募書類に「世銀はこうやって変えなければいけない」って書いたんです。

今の世界の中で、圧倒的に難しい色んな問題がある中で、世銀にしろ国連にしろ、国際機関というのはどれも非常に至らないところが多くて。

でも、じゃあ諦めるのか。あるいは、問題がもし解けるとしたら、どういう条件が揃ってなきゃいけないのか。
世銀は、これとこれを直せばそれができるかもしれないですよね、っていう話をしたんです。

面接に出てきていた人たちは、なんとか局長とか、世銀の中ではそれなりに偉い人たちで、真摯に自分の担当分野の仕事をしながら、広い視点で世銀の運営をどう改めるべきかということについて、それぞれに自分の意見をお持ちで。

中のことを何も知らない若造の意見に、すごく真摯に応えて一緒に考えてくれました。
この人たちは自分の言ってることを言ってるだけじゃなく、ちゃんとやってるんだろうなと思ったし、優れたプロフェショナルだなと思いました。そして、新しいやり方に対して開かれた人たちだと感じました。

 

決め手はやはり、人に惹きつけられて、というところなんですね。今は、世銀の中でどんな仕事をされているのですか?

世銀を変えること。
面接でそんな話をしたからというのもあると思います。もうちょっと後になってやることになるだろうと思っていたんですけど、結構入ってすぐに取り組むことになりました。

最初の一年間は、ロシアとかポーランドとか、東欧の昔からよく知っている地域の仕事をしていて、その後、内部改革事務局というところに入りました。

世銀の仕事は、各国政府にお金を貸し付けながら政策の改革を迫る仕事。なので、中のことについても改革だ改革だっていつも言うんですけど、それが実態を伴う大きな改革かっていうと、必ずしもそうではなくて。

僕が入ったときの内部改革事務局は、隅っこに押しやられながらもなんとか頑張っている小さなチームでした。

2012年に新しく総裁が変わってそこから大騒ぎの改革祭りになり、組織上はそれから更に何度か変わり、今は、組織の名前は・・・長いんです(笑)。
予算編成・業績評価・戦略企画総局というところにいます。

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*1. UNDP
United Nations Development Program(国連開発計画)

 

*2. IFC
International Finance Corporation(国際金融公社)

*3. ヤング・プロフェッショナル・プログラム
世銀や国連など国際機関の、若手幹部候補の採用・育成プログラム

響きから生きる人たち インタビュー

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