今、目の前にいる一人を、
どこまで大事にできているだろう?

そういうケースに日々直面する中で、心折れそうになっても藤原さんがそこに立っていられたのはなぜですか?

少女達と接していると、私たちが思う以上に彼女達が悲観してない場合も多くて。「この子は自分の子供で、自分で育てる」ってね。

そんな少女達を、私はかわいそうだと思わなかったし、かわいそうだと思っちゃいけない、って感じた瞬間があったんです。
私がそう思った瞬間、この子と生まれてくるあかちゃんの人生を同情によって否定することになる気がして。

少女も、生まれてくるあかちゃんも、一人の人生として、人として尊重したいっていう気持ちがありました。過去に起こってしまったことは置いておいて。

この根深い問題が解決される日は一体いつ来るのだろうか、と思った自分もいます。でも、当事者を目の前にしたら、もう、立ち止まるってことはできなかったかな。

藤原さんが、社会の根深い問題に痛みを感じながらも、目の前の人と、ただ人と人として向き合っていたことが伝わってきます。

そうですね。ニカラグアでは、それまで学んできたファシリテーションやコーチングを国際開発の現場で活かしたいと思っていたのですが、関わる人の教育レベルもあるし、言語の壁もあり使える場面があまりありませんでした。

ところどころで入れ込むことはできましたが、そもそものニーズがもっと切迫していましたし。

そんな時、自分は何をしに来たのかな、これで自分自身が成長しているのかな、と何度も思いました。
でも、そんなふうに感じる度に、結局、目の前の一人にどこまで丁寧に向き合えるかという問いに戻ったんですよね。

今、目の前にいる一人を、自分はどこまで大事にできているだろうって。

今、電気も水もないところに住んでいて、お産の準備のためにここに来ている少女がいる。
そして、この人は、唯一無二の人生を生きていて。彼女にとって私が関わることは、きっと、一生のものになるんですよね。

今、この目の前の一人にしっかり向き合わずして、平和な世界を築くも何もないだろう、という心の声が、自分を原点に立ち戻らせてくれました。

でもしばらくすると、「あれ?自分は一体何ができているのかな? 」「ファシリテーションやコーチングを活かす場面もあまりなく、農村部の女性とおしゃべりしていて、こんなんで社会は変わるのかな?」って思って。

それで、また、結局、どこまで目の前の一人と真剣に関われているのかという問いに戻る。そんなサイクルをぐるぐるしていました。

そんな中で、社会や文化を変えていく必要性を感じつつも、そういうマクロな視点での活動は、2年の任期を終えた後に、別の立場でやればいいかなと思うようになりました。

協力隊員はローカルに入っていける立場であるため、今は、とことん現場目線で一人ひとりを大切にしていく時間なんだと、自分が納得した上でシフトしていった感覚はありました。

自分が何かした分だけ、
自分が変わった分だけ、世界は変わる

二年間の任期の中で、藤原さんが実現したいと思っていたことは、どれくらい実現できましたか?

なんとなく数字で出てくるのは、7、8割ぐらいかな。そもそも情報があまりなかったから、行ったらこうしよう、というのは事前には具体的に描けなかったし、描きませんでした。

元々の行った目的の一つは、国際協力の現場で何が起こっているのかを自分の目で知って体験したい、ということだったので、そういう意味では、それはかなりできたかなと思っています。

国連や国際NGO等、大きな組織の人間として、支援している外国人と支援してもらう現地の人、という構造ではなく、友達として関わって、生活や思考回路やメンタリティにすごく近くで触れたり、良くも悪くも、どろどろとした人間臭さを感じることができました。

コーアクティブ・コーチングやコーアクティブ・リーダーシップは、現地の活動の中で、どんな風に活きていましたか?

自分がやりたいと感じる、心がうずく感覚と、喜んでもらえるな、必要とされているなと感じる感覚の交わるところから、躊躇せずに行動することへのアンテナがすごく立っていました。

そこに躊躇がなかったのは、リーダーシップ・プログラムでの経験が大きく影響していますね。

それから、「自分が少しでも何かした分だけ、あるいは、自分が変わった分だけ世界は変わる」という信念をずっと握っていました。

だから、私が今この人と関わって、例えばあかちゃんに名前をつけたことが、きっといつか世界に響く何かになるかもしれない、と信じて一人一人と関わることができました。

みんなが生まれてきてよかった
と思える世界を実現する

この先にどんな未来を描いていますか?

現在、コスタリカにある国連平和大学の修士課程で「ジェンダーと平和構築」を専攻し学んでいます。

その先には、今までの経験を生かして紛争後地域の性暴力防止に関わっていくか、セクシャルマイノリティ、LGBTQI(*4)の問題に関わっていくかはこれから考えていきたいと思っています。

自分の人生の目的(*5)として持っているのは、「すべての人が自分のミッションや天職に気づいて、生まれてきてよかったと心から思える世界を実現していく」ことです。 出会った人たちに「生まれてきてくれて、ありがとう」を伝えていきたい。

私、その時々に必要なアイディアがピン!って降りてきて、それを形にできる強みが自分にある気がしているんです。それをすっと察知して行動し、形にしていく。

そうやって、みんなが生まれてきてよかったと思える世界を実現する人間なんだっていう自己認識があるんです。

だから、その先に、性暴力の防止やマイノリティとして生きずらさを感じている人たち、私から見て理不尽なことが起こっている場所に、何かをしていきたいと考えています。

 

藤原さんが歩き続ける響きの源は何ですか?

これまでの人生のところどころで、私に感謝してくれる存在がいてくれます。「かよさんが私を信じてくれた、その関わりのお陰で、私は人を信じることができるようになった」とか、「かよが私を応援してくれたから、人生のどん底だったところから前を向くことができた」とか。

そういうことを通じて、一人ひとりの人生に自分が大きな影響を与えていたんだと感じる場面がたくさんあります。

当時、それを意図してはいなかったけれど、結果的にいい影響を与えて役に立つことができていて、それは、すごく生きるエネルギーになります。

相手の人生の物語と自分の人生の物語の交差するところで起こることが、その人の人生にとって大事な意義があることだった時に、生きていてよかったな、自分もいて意味があるんだな、と思います。

そういう意味では、ボランティアをしているとか、人助けをしているっていう感覚は、実は全然なくて、やりたいことをやっているだけという感覚があります。

 

藤原さんのその感覚が、まさにマズローの欲求5段階説の上にある感覚なんですね。自分の何かを満たすために何かをやるのではなく、ただ、自分がしたくてやっていて、結果としてそれが人の喜びや幸せにつながる生きかたですね。

インタビューを振り返って

「人と人の関わりがもたらす可能性」

インタビューを終えた時、藤原さんが握り続けているものが、一本の道となって藤原さんの来し方行く末をつないでいるようなイメージが湧きました。

ニカラグアで厳しい現実に直面しながらも、一人の人として目の前の少女達に向き合う藤原さんの姿が、とても印象的でした。

それは、今、起きている事柄や問題がどんなに難しいことであったとしても、事柄だけに捕われるのではなく、人そのものに焦点を当て、向き合う、コーアクティブな関係が大切にしている姿勢を体現されている姿だと思いました。

そして、人と人がそうして関わり合ったときに、お互いの人生にもたらされる豊かさの可能性を、藤原さんは伝えてくれていると感じました。

また、思春期の頃から「自分は何のために生きるのか?「何を信じるのか?」の問いを持ち続け、それを今も問い続けていることが、藤原さんを動かしている響きの源なのだということが伝わってきました。

明確な答えを見つけることだけではなく、人生の目的を探求し続けることそのものが、生きる力になり、結果として、人や世界に影響を与えてゆく。藤原さんが歩み続けるその先に起こる未来を、仲間として、応援し続けたいと思います。

「あなたは、何を心から信じていますか?」

「そして、何のために生きたいですか?」

 

響きから生きる人たち インタビュー
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*4. LGBTI
L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー(心と身体の性が一致しない人)、I=インターセックス(性分化疾患:身体の性を一つに判別しにくい人)の頭文字をつなげたもの。本来はそれ以外にも、身体の性、惹かれる人の性、性自認、表現の仕方などにより無限で多様な性のあり方が存在する。

*5. 人生の目的
自分が何のために生まれてきたいのかの唯一無二の独自の理由。それを思い出し、覚えておくための仕組み。

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